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ウェアラブル・ユビキタス・エンタテインメント
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   最終更新日 2010年9月1日
 
 
 
 
       
 

プロフィール詳細版(おふざけ版ともいう)

1974年5月

どこかで生まれる.牡牛座ですね.

1981年4月

高槻市立如是小学校に入学.

6年間ずっと5組でいやだった.覚えやすかったからいいのか.

このころは毎日のようにスイミングスクールに通っていた.僕らの世代ではスイミングスクールに行ってる人間は結構いたような気がするけど,今はどうなんだろう. 年代別で市の記録をもっている,くらいの選手でした.

他に習い事といえば,習字をはじめたんだけど2ヶ月でやめてしまった.

また,4年生の時にMSXというパソコンを親に買ってもらう.ファミコン+ファミリーベーシックが出た頃で,どちらにするか迷ったあげく結局MSXにした.ゲームをするという観点からいうとファミコンのよかったかもしれないし,実際当時は「失敗したなあ」,と思ったもんですが,このころからプログラミングというものに馴染んでいたことが大学の学科選択,ひいては職業選択にまで影響しているような気がする.というわけで,MSXを選択したことは結果としては大正解だったのだろう.それまでスポーツ一辺倒だった自分がインドアの趣味に目覚めた瞬間であった.
その後,MSXはトータル4台買われることになり,大学に入ってからもちょっとしたプログラミングやビデオ編集などに大活躍.しかし,ついに大学3年の頃,FDDのベルト不良により動かなくなる.残念.

1987年4月

高槻市立如是中学校に進学.

水泳部(夏)やバスケ部(冬)に所属していたものの,体力はほぼスイミングスクールで燃焼.中2の終わりごろ「もうどうがんばってもオリンピックとかないよな」と思ってスクールをやめるまでは水泳一直線の人間だったかもしれない.

この頃の友達とは結構仲がよくて,卒業後もたまに会ったりしている.突然メールとかが来てびっくりするのもこのころの友達からっていうのが多い.

麻雀を覚えたり,ROCK音楽を聴くようになったのもこのころからかな.

1990年4月

大阪府立三島高校に入学.

小中学校は両方とも家から徒歩2分くらいの場所にあったので,初めて遠い(自転車で15分)登校を体験.え?近いですか?

今までスポーツ活動をメインに生きてきたのだが,高校入学と同時に,運動部には見向きもせず軽音楽部に入部.ベースを弾き始める.以降3年間バンド漬け.体力一気に無くなる.

バンドをやるにはお金がかかるわけで,1年の途中からアルバイトをはじめる.近所のモンマートという酒屋系コンビニで軽い気持ちで働き始めるのだが,なんと就職のときまで10年間も続けるバイトとなる.対人交渉術を学ぶ.

家を建て替えするにあたり,その間に住む家が遠かったので,という理由をつけて原付を買う.以降私のメインの交通手段となる.就職して車に乗り始めたが,それまではずーっと原付で過ごしてました.

高3になると,やっぱり大学進学を考えないといけないわけで,まあいろいろと進路を考えていたわけですが,センター試験を受けると,ラッキーなのか,予想してたよりもはるかにいい点が取れた.先生に相談したところ「試しに阪大受けたらおもしろいんちゃう?」と言われる.ま,そうだなと思い受験するとなんと合格.これは正直みんな最初は信じてくれなかった.

1993年4月

大阪大学工学部電気系に入学.

今度はなんと通学一時間!やってられんと思いながらも電車はいやなのでバイクで通う.冬はつらかった..

1回生の5月くらいに軽音楽部に入部したものの,いきなり最初の行事をサボってしまい,そのままずるずると行かなくなる.で,すぐさま退部扱い.いきなり大学生活に暗雲がたちこめる.

しかし,1回生の終わりごろになんとかもう一度軽音楽部に入部.以降,軽音楽部で楽しいときを過ごすこととなる.

バンドをたくさんやる一方,授業のほうにはどんどん行かなくなる.学部に仲が良くて頭のいい友達が多くて助かりました.感謝してます.

3回生の終わりごろ,研究室配属がある.今となってはこの選択が現在に大きな影響を与えているのだが,そのときは何も知らず,とりあえず設備や先輩がよさそうだった西尾研究室を選択し,一人負けじゃんけんの末,勝ち残る.

1996年4月

大阪大学工学部情報システム工学科西尾研究室に配属.

3回生までのサボりぐせが直らず,研究室に配属されたにもかかわらずあまり学校に来ない生活を続ける.でも実は直上の先輩もあまり学校に来ない人だったため,研究室内でも奇妙な研究チームだったであろう.卒論チェックの時は置き手紙がメインの連絡手段でした.

でも,大学院には行きたいと考え,院入試を受ける.それまであまり勉強していなかったためしんどかったが,もともと情報系の科目の内容は知識としてもっていたため,なんとかなった.というわけで,大学院に合格.

卒業研究に関しても,あまり苦労しないネタだったので,やっぱり学校に来る時間は少なかったと思う.卒論執筆で忙しいはずの時期に,当時やってたバンドのレコーディングを入れたりしていた.で,そのバンドのCDが1997年の3月に発売された.レコーディングはめちゃめちゃしんどかったけど,これは非常にうれしい出来事でした.

1997年4月

大阪大学大学院工学研究科情報システム工学専攻に入学.

なんかだんだん所属名が長くなっていく..M1の夏くらいからまともに研究をし始めたと思う.システム構築などが楽しかったため,たくさんプログラミングなどをした.しかし,M1終盤からM2最初まではまたバンド漬けになってしまった.

M2の6月くらい,自分としてはもちろん就職するつもりだったのだが,周り(上)の人に「博士に残らないか」などと言われる.当時の状況から考えるとやる気的にも業績的にもとても博士課程に値する学生だったとは思えないのだが,このとき声をかけてもらったおかげで今の自分があるわけですね.はい.感謝してます.

というわけで,何故かドクターに残ることを決意し,試験を受ける.まあ合格(誰も落ちなかったし).しかし行き当たりばったりの人生だ.

この夏,サイパンにてスキューバダイビングの免許を取得.軽い気持ちで行ったのだが,研究室にライセンスを持っている人の人数が多いこともあり,その後はちょくちょくもぐりに行っている.いつのまにやら趣味の一つとして数えられるくらいになった.

1999年4月

大阪大学大学院工学研究科情報システム工学専攻博士後期課程に入学.

さあ,ドクターだ.ということで,研究にエンジン全開,と行きたいところだが,やはり慣れないことはできるわけもなく,なかなかエンジンがかからない.やっと研究生活に浸れるようになってきたのはD1の冬くらいから.どういうドクターコースだ.

この夏には再びサイパンに赴き,1ランク上のライセンスであるアドバンストオープンウォーターダイバーを取得.

で,研究を(自称)ばりばりやり始めて半年くらい経った2000年5月末ごろ,教授に「大学辞めて(!)サイバーメディアセンターというところの助手にならんか」というお話を頂く.給料は魅力だったが,中退になるということと,研究者としてやっていけるかということとがあり,2分ほど悩んだ.結果,お話を受けることにする.

2000年6月

大阪大学サイバーメディアセンターサイバーコミュニティ研究部門助手に着任.

また所属が長くなっちゃった.しかし,英語名にしたときは非常に短いのです.どうでもいいか.所属にサイバーという言葉が2回も入ってるのがなんだかちょっぴり恥ずかしい.

色々ありまして,かなり研究に時間を割けたこともあり,業績向上,知り合い急増加など楽しい日々.主に,ウェアラブル・ユビキタス・エンタテインメントの研究を推進しました.

2001年9月

入籍.

結婚しました.式は11月末にやりました.入籍日と結婚式日のどっちが結婚記念日なのか,また,いつまで新婚なのか,など尽きない疑問と戦う日々.奥さんは当初仕事を続けていたのですが,いろいろあって主婦に.気がついたら人をたべさせないといけない立場になったわけでございます.といった堅苦しいことはなくやっぱり楽しく暮らしております.

2002年6月

NECインターネットシステム研究所客員研究員を兼任.

一緒にやりませんか?というお話をいただいたのでありがたく受けさせていただきました.以降,三菱電機やATRでも研究員をやらせていただきましたが,やっぱりこういう外の方々と積極的に共同作業を進める(しかも共同研究ではなく内部者の立場で)というのは刺激的で,いろいろいい経験をさせていただきました.大学がどれだけ恵まれているかもわかっちゃったりして.

2003年9月

博士の学位を取得.

無事に博士(工学)となりました.特にこれといって変わったところはないのですが,名刺に「博士」と書けるのがなんかうれしいところ.もちろんすぐに名刺を作り直した.

2004年8月

英国ランカスター大学客員研究員.

ユビキタス研究で有名なHans Gellersen教授に「お金出すからしばらく来ない?」と言われたので喜んで行ってきました.いくつかの共同プロジェクトを進めることができ,有意義に過ごせました.また,初の海外在住ということで困ったことや楽しかったことが色々.詳しくはその辺の時期の日記を見てもらえれば...世界はいいひとたちばかりです.

2004年12月

チワワを飼う.

ロングコートのチワワを飼い始めました.名前は花音(かのん)ちゃん.いやー,やばいっすね.かわいい.どたばたの日々が始まりました.今のところ順調に育ってくれていて何より.彼女をひとことで言うと「白い臆病者」.

2005年1月

大阪大学サイバーメディアセンターサイバーコミュニティ研究部門講師に昇任.

なんと昇任です.自分から積極的に動いたわけではないので,周りの先生方に負うところが大きいです.ありがとうございます.もちろん名刺はすぐ作り直しましたよ.同時に情報科学研究科の兼任のほうも講師になりました(多分).

この昇任によって自分に何が変わったかというとやっぱり何も変わらず.依然,自分がおもしろいかなと思うことをひたすらやるという毎日です.個室ももらえたのですが,なんとなく学生部屋に残っている席で研究することが多いですね.あ,「講師」という肩書きが微妙で,あまり大学のヒエラルキーに詳しくない人に講師というと,「授業をやっている人」だと思われちゃうんですよね.まあ助手をやってたときも,某ミュージシャンの方と食事したときに「助手でも博士なんですか!?」と言驚かれたし.

2006年7月

子供が生まれる.

子供が生まれましたよ.女の子.こりゃまた楽しい日々ですが,やっぱし大変なことも多い.特に奥さんは日々大変そうです.かのんさんで子育てのリハーサルができていなかったらもっと大変だったかもね.どう育ってくれるんでしょうか.

2007年10月

神戸大学大学院工学研究科電気電子工学専攻准教授に着任.

というわけで移籍しました.要はもとの上司の所に戻ったということなんですけど.大学と言えば阪大しか知らなかったので,いろいろと常識が違うこともあって戸惑いながらも楽しくやっております.准教授の准って普段書かない文字なので,なんか書きにくいです.

もうひとつ大きなコトとしては,移籍に伴い家を建てました.どういう家かというと,白い家です.お近くまでお越しの際はぜひお立ち寄りください(というのはもちろん社交辞令ですので,お越しになる際は前もって連絡ください).